How I feel is not your problem, period.
見しらぬ誰かのことを想像する展覧会

人間関係や自我について悩みの多い10代に向けた展覧会。
「共感」という言葉が学校やビジネスの世界に流入している。
共感という言葉は、他者の思いを分かち合うとか、自分と他者で同じ気持ちを抱くといった温かなニュアンスを含んだ言葉だと思う。
一方でその共感という言葉が、同調圧力、排除、支配へと向かうことがある。
共感という温かなニュアンスの言葉は、人を不自由にする可能性も同時に持ち合わせているのだ。
「みんな一緒、みんな同じ」という言葉を聞いたことがある。
みんなと同じなら安心だという心性がそこには感じ取れる。
しかし、根本的に、他者と自分が同じはずがない。
「どうしてみんなと同じではないのか?」という問いよりも、
「どうして、自分と異なるはずの他者と同じ部分があるのだろう?」という問いの方がリアリティがあると私は感じる。
自分と他者は異なる存在である前提から出発した方が、ナチュラルだ。
この展覧会は、共感を迫られたとき、必ずしも自分を押し殺してそこへ同調する必要はないのだということを提案するものだ。

下から2つ目のプレートには
「共感しないことは相手を否定することではなく、新しい視点を手に入れて、そこから対話をするチャンス」だとある。
相手の話を無条件に肯定して併合することではなく、どうしてそう考えるのかと問うてお互いの考えや背景を話あってみると、理解を助けることにつながる。
すると、自分にはなかった物事の見方や考え方を知ることができると思う。
考えが異なる人がいたとしても、対話をすることで、その人なりの人生経験などのバックグラウンドがあり、それを踏まえると納得できる話もあるだろう。
そのほうがとても生産的な生き方のように私は感じる。

これは、コロナの外出自粛期間中という孤独を感じやすい状況の中、多くの人から月の写真を集めた展示だ。

「共感」にまつわる想いや考えなどを来場者が記した『空をながめる野原』。
1枚1枚の空をながめてみると、
共感とは鏡のことで「共感とは他者を通して見えた自分の感覚」である、
ベン図が複数描かれており、1つのベン図が個人の見ている世界だとすると、自分の世界を広げていくことで他者との交わり線ができることを示すものもあった。
とても驚愕した。
共感について考えていることは、人の数ほどあるのだと思い知らされた。
私は、展覧会を通じて、わからないのはしんどいと感じた。
映像作品など、それが何を意味しているのか?、何を問うているのか?全くわからないものもあった。
しかしこのわからない状態で考え続けるのがこの展覧会の趣旨なのだという。
普段生活の中で、言語で説明された媒体ばかりに触れているからか、言語以外で表現されたものを理解する難しさも感じた。

文科省の検定を受けて発行される教科書は、その時代に国家が国民に対して何を求めているかを垣間見る手がかりになるものだという。
この軽トラックの中と、この写真に写っていない緑の芝生エリアにも歴代の教科書が置かれていて、自由に閲覧することができる。
昭和30年台、50年台、平成30年ごろの教科書を比べてみると、掲載内容には大きな違いがあった。
国語の教科書を開くと、メディアや科学技術に関するテーマでも、その時代の社会情勢に即した作品が掲載されていることに気がつく。
例えば、昭和の教科書であれば原子力や宇宙、今の時代であれば、人工知能(AI)やSNSに関するテーマがホットな話題だろう。
6年生の教科書には「時計の時間と心の時間」という作品の掲載があった。
時計で計測する客観的な時間に対して、人が感じる時間は、好きなことをして夢中になっているとき、苦手なことをしている時間とでは体感時間は異なる。
つまり時間は相対的なものだ。思い浮かべたのはアインシュタインの相対性理論。小学6年生ですでに学ぶことなのかと驚いた。
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